そのくたびれた旅人は宿のおもたいとびらを開けて、マスターにコーヒーを注文した。できるだけ熱いまま出してくれるよう付け加えて。
外は猛烈な吹雪で、ただでさえあまり頑丈とは言えない建物は、大巨人のくしゃみのような強い風に揺られている。
なかでは古びた時計の音だけが、億劫そうに鳴り響いていた。
旅人はふと横に目をやった。
近所の子どもたちだろうか?急な悪天候によって、羽を傷つけられてしまった小鳥を抱えて、どうして良いかも分からず、手ですくい上げたままオロオロとしていた。
子どもたちの恰好は御世辞にも良いとは云えず、穴の空いたズボンをはじめとして、被っている帽子も酷く擦り切れて、色が変色してしまっている。
旅人はコートの雪をはらいながら、退屈しのぎに声をかけた。
子どもたちは大人と話すことに慣れていないと見えて、旅人の言葉にも明瞭には応じず、ただそのコロコロとしたビー玉のような透き通った目で、旅人を見つめるばかりである。
構わず旅人はカウンターの椅子に腰かけ、来る途中に見かけたある庭について教えてやった。
そこの庭は今はすでに廃墟になってしまっている建物の敷地にあって、誰のものとも知れない。
しかしそこには摩訶不思議な七色の、紙風船を溶かしてこんでかき混ぜたかのような、鮮やかな色の水たまりがあって、その水には生命の痛みを癒す万能のチカラがあるような無いような気がするという。
歩いて行ってもそんなに遠い距離ではないよ、と旅人は付け加えた。
子どもたちは戸惑った。
まず外は今吹雪であるし、そんな水たまりについては、聞いたことがなかった。
しかし子どもたちには他にすがるものもないので、ヒソヒソと仲間うちで話し込んだ後、旅人に会釈をし、去っていった。
そのあと旅人はコーヒーをすすりながら、マスターに自分が今まで見てきた不思議なものについて話した。
珊瑚のツノを持つふしぎなサイや、ガラス戸のように大きく硬質な翼を持つ鳥、それから頭からピンク色の毛が生えているゾウについて。
旅人の話はどれも素晴らしく胡散臭く、同時に幾らか美しくもあった。
しかし旅人は七色の水たまりについては、それ以上話そうとはしなかった。
マスターは念のため子どもたちにカッパを貸してやったが、そんなものが役立つとは思えなかった。
それに水たまりはこの風で吹き飛ばされてしまっているのではないか。
次の日の朝、子どもたちは宿から数百メートル離れた場所で寒空の下、遺体となって発見された。
小鳥はひとりの子どもの手に抱えられたままとなっていたが、人々が覗きこんでいると、突如羽ばたき、すっかりと青さを取り戻した空に消えていった。
旅人は幾らか苛立ったように、宿の前で、マスターに借りた工具を使って、自分の自転車のブレーキを直している。
ここいらにはイヌワシが生息している。
あの鳥もそう遠からず食べられてしまうだろう。